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2014年9月30日 (火)

9月も終わり。

今日で9月も終わり。
早いですね・・・。

自分用の記録として、ちょっとだけアップしておきます
グラバー邸でのライブが終わった翌日、
お友達に誘ってもらって、ビルボード大阪へ。
エリオット・ヤミンのライブでした。

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↑こんな人です。
何年か前にアメリカン・アイドルっていうTVのオーディション番組で優勝したのかな?
オリジナルを歌ってました。
ポップなロック(どんなたとえやねん)な感じです。
最近聴く音楽といえばジャズばっかりのわたしには新鮮
気づくこと多い!
スカッとしててわかりやすいよねー、とか
でも、「キメ」と言われる部分がたくさんあって、バンドの人大変よねー、とか
これはリハ相当ちゃんとやるよねー、とか。(笑)
連れてきてくれた友達に感謝です。

それにしても、めっちゃええ声!!
わたし、名前は知らなかったのだけど、知ってる曲が2曲ほどありました。
日本のテレビのCMやドラマの挿入歌になってたみたい。

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↑バンドメンバー。
エリオットさん、声も素敵でしたが、ステージパフォーマンスがすごい好感!!
派手なことはしないんだけど、「いい人」なことが伝わるんです
そのせいか、熱烈な女性ファンが目立ちました。
オーディエンスやバンドメンバー、サポートしてくれる人達みんなのことを考えてるのがわかるんです。
一体何なんだろう?
この印象はどこからくるんだろう?
理由がはっきりわからなくて、モヤモヤ

・・・と思ってたら、狂言の野村萬(人間国宝)さんのインタビュー記事の中に答えがありました。
「(略)映像というのは、映してもらえなかったら自分の存在価値は生まれない。
けれども舞台には、じっとしてそこにいるだけでも成立する世界がある。
その場の空気を通して伝わっていく「心」があるんです。
そうしたものは録画した映像からは感じにくいものです。
身体から身体へ、その場の空気を通してでないと「心」まで感じとることはむずかしい。」

特別なことはしてなくても、「心」が身体に表れていたのか。
視線であったり、動きであったり、そういうことか。
そうか、じゃあ、わたしはどうなのか・・・・(冷や汗)
続きです。
「ただ狂言は、どんなことがあっても「美意識」だけは失ってはならない。
台詞をこねくりまわして、達者にやろうとすればするほど下品に見えてしまう。
汚い演技になったらそれはもう狂言とはいえない。」


え。
それは、音楽でも一緒だなあ
ちょうどある歌を練習中・・・。
ジャズの表現方法のひとつ、メロディのフェイクを研究してました。
こんな表現もある、あんな表現もある、色々試してたのですけど、ハッとしました。
萬さんの言うとおり。
「美しさ」忘れかけてました。
帰って、もう一度やり直そう
更に続き・・・・。
「若い人が普及に心を致し、「広さ」を求めてエンターテイメント性を追求していくのはいいと思うし、大切なことです。
しかし芸能というのはそれだけでは駄目です。
広さと同時に「高さ」「深さ」も追求していかなかったら、薄っぺらいものになってしまうでしょう? それを可能にするのが、経験と年齢なんじゃないでしょうか。
(中略)
(芸能としての「高さ」「深さ」とは)一言で言うと「舞台における存在感」になるのでしょうね。
若いときは若さが華。
しかしその華は歳を取れば当然のようにしぼんでいく。
一方で人間としての味わい、存在感というものは、重ねた年齢の中でどれだけ研鑽を積んできたかで現れてくるものです。
ですから、どれだけ真剣に舞台と向かい合ってきたか。
それが技術として表れるのが「高さ」であり、精神性や表現力として表れるのが「深さ」なのではないかと思いますよ。」

おお。
これ、昔国語の先生が同じこと言ってたな。
特に女子に向かって。
若いうちはいいんだ、何もしなくても若さがあるから。
でも、女性は年齢を重ねれば重ねるほど、教養や思考というのが外見に表れるようになるから、心して年を重ねなさい。。。。って。


リンクを貼りましたので、ご興味あればご覧ください。
「人間国宝・野村萬に聞く、伝統芸能とエンターテイメントの違い」

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